2020/11/21
沖縄リトリートのお礼と、ご報告
この度は、沖縄リトリートへのご参加をいただきまして
誠にありがとうございました。
皆さんのご協力のおかげで、無事にリトリートを終えたことを感謝いたします。
今回、聖地巡りをメインにしていたのと、私がドライバーを兼任したことで
あまり皆さんとお話が出来なかったこと、
またエネルギーワークをもっとしたかったのですが、その時間があまりとれなかったこと
それらが残念ではありますが
皆さんからのご連絡で、それぞれに大きな気づきや感動があった事を知り
大変に嬉しく思っております。
長くはなりますが、旅の総括をお伝えしたいと思います。
私は「旅するように生きる」がモットーなのですが、
旅は、いつもの日常では気づけない新しい発見や出会いが、自分を一新してくれます。
ある意味いままでの概念は壊されたりもします。
また、あらかじめ予定している行程も、導きで流れは変わります。
ですが旅を終えてみれば、全ては伏線であり辿り着くべきとこに辿り着き、
「あぁ、このために自分はここに来たのだな」と理解します。
全ては完全であり、宇宙の調和の中に生きていることに気づかされます。
人生も同じで、予定していた通りの事だけが起こるわけではありません。
流動的です。
でも、心が何に寄り添っているかで、その流れの行先は変わる。
今回の旅での、気づきや発見、繋がりが、
この先の皆さんの、元気で喜び溢れる毎日への発展になれれば幸いです。
何点か特に感じたことをお伝えします。
予定していたスケジュールが狂うのは、大前提で想定していたものの
狂わせたくなかった初日の夕飯が遅れたことにより、夜のお話やエネルギーワークの時間がなくなりました。
しかし、今回はそれはそれでよかったのだと思います。
今回のメンバーの皆さんは、それぞれに感受の力が強い方々でしたので
私から、しのこの言わなくても、聖地でそれぞれに感じてくださっているのがわかりました。
なので、2日目はとくに、私からあまり何も言わずに、ご案内しておりました。
また、初日の遅れを二日目に調整したため、聖地巡りの予定も変更したのですが
これも振り返ってみれば、成るべくな流れだったと思います。
初日のヴィラへの到着が、色々あって私の車だけが、不思議な感じで淡々と予定していた時間ピッタリにヴィラへ到着したのですが、これも振り返ってみれば、意味や訳がわかりました。不思議なことに、私の車に乗っている人はその日みな「オールオッケー」のエネルギーでした。
2日目の朝に、皆さんに「慈愛と調和」のお話をしました。
「調和」がいま、個々と全体に必要である。前夜にはそう感じたのですが
ヨーガの後は、皆さんの心の中にも、全体にも、その調和のエネルギーを整ったのを感じました。なので「今日は、この調和のエネルギーに身を任せていれば、行程もオールオッケー」そのような確信がありました。
結果、素晴らしい流れになったと思います。
「慈愛」については、エネルギーワークでも行いたいテーマであったのですが時間がありませんでした。
最後に皆さんで、いばらの道のあとに訪れた、地下神殿はまさに「慈愛」のエネルギーの強い場所。
また、あそこは私達の住む次元とは、違う次元のエネルギーです。波動・磁場・ボルテックスが違う場所ですね。セドナなんかにも、あります。
私達でいう、良い悪い・黒白・陰陽・明暗といういうな二極が、内包され統合され純粋性のクリアな波動にハイブリッドされたエネルギー。
それは、人の心のあらゆるものを受容してくれるような。受容の愛なので、私には「慈愛」のように感じるのですが、人それぞれ、そこで感じたことはあると思います。
幾人もの人が、なんでかわからないけれど泣きじゃくる。ということが起こりました。それにつられて私も、マントラを唱えようとすると感極まって今回はマントラが唱えられませんでした。
何もかもを包み込む純粋性である大きな愛。私達人類が学びたい愛であります。
受容とはなんでしょう?
許しでもあるし、あるがままだし、いわば抱き参らせてしまいます。
わざわざ何かを言う必要もない。施すこともない。愛で包むだけです。
安心という形で、物事や人の心を変える力です。
包容力、寛大さ。そんなものも、受容からくるものだと思います。
そんな形の愛です。
一見、悪や闇、間違いであっても、両極のものに正そうとはしないもの。
愛で包むだけで、純粋性に変える力。
ここは、前に訪れたときより、水が増えていて、そしてややエネルギー明るくなっていて、まえはとてもクローズな雰囲気だったのが、少しオープンになっていました。
私達の次元が、このエネルギーに近づいてきているのか?な?は、推測になります。
ただ、少しオープンになっていたのは確かです。
前回は、マントラを唱えた後に、少し明るくなったのですが、それでも今回よりはクローズなままでした。
いばらの道を最初にいかされたのにも、とても意味がありましたね。
そもそも、私達の住む地球は、宇宙の無限で自由な視点からみれば、いばらのような制限だらけに映る世界です。あの時のように、あっちじゃない、こっちじゃないと、いばらをかきわけている。
しかし、現実はマーヤーですので、私達の心次第なんですけどね。
あの状況を、上から俯瞰して見てたら、笑えますよよね。
手前に、さくさくの真理への道があるのに、その一本先のいばらの道で、
虫にさされながら、汚れながら、道なき道を進んでいる。
でももう、この方法も、必要ないですよね。この先の私達の生き方に。
そして、辿り着けるかどうかわからないけれど、トライ!といって出発して
結局は皆さんで辿り着けた。
私は、あそこに辿り着けた方というのは、これから世界や周囲はどうであろうとも、自分の軸や後ろ盾になるものが、何であるのか?に辿り着いた方なのだと思っています。
小宇利島も、私達が車を走らせるときだけ、土砂降りで、かなりウェルカムでしたね!
そして、アマミチューの墓の後に行った、龍神様のところですが
私は、また16日に導かれて、再び行く事になりました。もう一箇所、カットになってしまった龍神風道などにもいってきました。
あの場所に、皆さんといったときは、道に入ったとたんに、泣いておりましたが
懐かしく愛おしい存在に再会できたような、感涙でした。あの場所の龍は
大きな愛と優しさに溢れた、母性的な愛ですね。でも、私にとっては、亡くなった最愛のペットに天国で再会できたときのような、そんな感覚でもあります。
16日は、小さな男の子と一緒に出掛けたのですが
彼がアマミチューの墓で、誰かの天然石のブレスが切れて、玉が四つくらい残っているのを拾いました。それを、「龍にあげる!」というので、龍神さんに渡しました。
普通は龍から水晶の玉や、玉手箱をいただきそうなものですが、逆に玉をあげるという。
でも、龍がニコニコ喜んでおりました。

あとは、南部の龍さんもとっても、優しくウェルカムでしたし、一緒に歩いた方はともに
伺いましたが、首里城にも優しくお水を運んでくださる優しい龍にも会えましたね。
でも、首里城の大きな龍には、「人類が自然界との調和を忘れていて、ごめんなさい」そう謝りたくなりました。
私の今回の旅で、強烈にイメージに残っているのは、その龍神さんのいる場所の風、サンセットに向けて車を走らせている時の力強い太陽、皆さんでヨガをしている時の虫の鳴き声、朝に皆さんで作ったフルーツジュースの美味しさ。皆さんが何かを感じている姿、祈っている美しい姿。です。
そして、旅を終えて、いつもの毎日に戻り、見ていなかったネットニュースを開くと、ちょっと世界の波動の重さに、ついていけない感じにもなりました。ここまでだっけ??というほど重く。まさに、龍宮城から戻った。そんな感覚に。
恐らく、しばらくはやはり世界は混とんと進むし、破壊のエネルギーも相変わらず強い。
けれど、
いばらの道を進むも、違う道を進むも私達は選択できますし
心を自分の真理に繋いでいれば、成るべきように成る。辿り着くとこに辿り着く。
さもすれば、全ては完璧。美しいサンセットに最後に間に合ったように、私達は完璧な行程を歩んでいます。
そこには、調和と愛があり、ただそのエネルギーに帰依しているるだけのこと。
そのエネルギーが通る、ただのパイプであるだけいい。
頑張りすぎる必要もない、何かをジャッジする必要もない。ただ自分がそうであったらいい。
また、私たちは変わり続けるし、拡大をつづける。自由で無限な存在。
自分の力や可能性も、「ここまで」と制限しているならば、その砦も破壊したくなるでしょう。
それにともない、変化は起こる。
変わらないということ、溜め込むということは
例えたら、水が腐っていくようなもの。
沼の水ではなく、川や海のように生きている水でありたい。
人間の体の仕組みもそうできています。ターンオーバーですね。
宇宙もそう。
生成・維持・転化の繰り返しです。
だけど、たえず普遍なもの、無限なものは
愛と調和です。
皆さんが今回の旅で、そのようなエネルギーに繋がってくださっていると思います。
どうか、各地の皆様がそれぞれに、周囲の方へそのエネルギーを繋いでいっていただければ
幸いです!
冬にはいりますので、次回のリトリートは暖かくなってからかなと思いますが
今回はエネルギーワークなどがあまりできなかったのと、お話会もしたいので
冬の間にも、まったり合宿がどこかで出来るといいなと思います。
また、皆さんにお会いできること、楽しみにしております(^^