2023/03/18
ゲシュタルトの祈り★今ココの自分の在り方
ゲシュタルトの祈り★今ココの自分の在り方

★Veena Roomは、お花の香りと波動で満ち満ちです。
ずっといると普通になってきますが
外に出掛けて、玄関に戻った瞬間
ドバっとそれを感じます(*‘∀‘)
さて、お花を選ぶときって、自分の心理状態なんかも自身で読み解けたり。
今回は、「私だよ!!」っていう、
個の華やかさを表現するお花を一輪もいれる気がしなかった。
さりげない支え役にカラーをいれたくらい。
沢山のお花同志で全体の美しさ、香り、波動を放っている感じが、今はしっくり。
ボーっと、花束をみていると
全体の花束という形象は崩れ、様々な表現に見えてきた。
そこで、ふと思い出した祈りがある。
★今日は、ゲシュタルトの祈りをご紹介したい。
ゲシュタルトとは、「形象」
心理療法・精神療法にゲシュタルト療法というのがあり、
ヴィーナルームで取り組む
近いものもある。
ゲシュタルトの祈り
私は私のために生き
あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するために
この世に在るのではない。
そしてあなたも
私の期待に応えて行動するために
この世に在るのではない。
もしも縁があって
私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
たとえ出会えなくても
それもまた同じように素晴らしいことだ。
読み方によれば、何か冷たいようでしょうか?私自身、子供の頃から
周りに気を使いすぎて、でも、一周周って取り越し苦労。
という感じて生きていたので
このようにすることは
何か冷酷人間?なんて思うこともありました。
でも、それは違いました。
分断するように誤解されそうな文言ですが
その逆です。
互いの信頼に基づき、全体のワンネスがあり
分断意識をなくせたならば、
この祈りは愛に基づいているのがわかります。
それぞれが自他を尊重し
自分のために生きることは
周りまわって全ての為になる。
★ゲシュタルトとは「形象」という意味です。
ゲシュタルトの崩壊なんていうワードが有名かもしれません。
ゲシュタルト療法は、東洋思想の瞑想やヨーガ・呼吸法などの概念も含まれており
「今ココ」に自分を戻します。
東洋哲学と心理学が融合され、
精神と身体の完全統一させるようなセラピーになるのは
ヨーガなどで得れる
自らへの気づき、
感情のコントロール、
自我による思考発想の暴走が
コントロール出来るようになるのと同じ枠組みです。
全身と、全霊で、
「今ココの自分」という自由に解放される。
ヴィーナルームの「本当の自分という自由を生きる」
というテーマに一致します。
お花のひとつひとつは、単体で美しい。
そして自分自身の与えられた、美しさを生きている。
そして、それは「自然な形」で、全としても在る。
無理に合わせることもしていない。
ただ、自然と成り立っている。
★自分にとって、
もっと大事なことから「ブレない」こと。
これは、人生において本当に大事な軸になるし
これを見失うことで、やがては健康や心の問題、
現実的な問題へと発展する。
最初に
私の過去の、大失敗談をお話します。
私はダンサーをしていたことがあり
ダンサーとしての後半は
自分自身でイベント企画やダンスカンパニーを創設し
ショーの制作や振り付けをしていました。
そうなってからは、自分を表現するに至れました。
さて、そうなる前に私は、大事なことを見失っていたことがあります。
私は、ひとりのダンサーとして
ディズニーシーのショーに出ていたことがあります。
ショーというのは、一つの役に、3名のダンサーがキャスティングされます。
お休みや、他のショーとの兼ね合いのためですね。
ぺぇぺぇな私は
同じ役にキャスティングされた先輩に、いびられました。
もちろん、私の受け取り方ですがね。
そして私自身が、引き寄せた現実です。
ディズニーのリハって、テーマパークの閉園後なので
ほとんど夜中にかかるんですね。
リハ中って、みんな結構ハードです。
日々のショーにでながらの、リハですから。
そんなリハーサル中の毎日のことです。
先輩から
他のダンサーと仲良くすると、いびられ。
無断でトイレに行くと、いびられ。
他の人が私を褒めると、いびられ。
お洒落なリハ着を着ているだけでも、いびられ・・。
「私はあなたを絶対に褒めない。私はあなたの良いところは勝手に盗む」
と言われながらのダメ出し。
今思えば、昔ながらの職人気質だったんだろうなぁ。
と思えるのですが、
毎日執着的にいびられ続け
当時は、えらく自信喪失をしてしまったのです。
そしてそのまま迎えた新しいショーの初日から、
せっかく大好きなショーが
楽しめなくなってしまった。
一緒に共演してくれる、
ミッキー・ミニー・ドナルド・グーフィー・・・
他のダンサーたち。
「ごめん、ワタスは無理にしか笑えないや・・」
一応、ショーですから、ステージの上だけでは笑って演技してますけどね。
楽屋では、もう塞ぎごんでおりました。そんな感じで、ショーに出ていたのです。
そうして、そのショーの千秋楽の日を迎えました。
(そのショーの上演の最終日)
私は、ふと演じながら客席を見たのです。
すると
お客さん達が、楽しそうな笑顔でこっちを見てる!
胸をときめかせているのが、わかる!!
ショック!!!私のばかーーーーーー!!( ;∀;)
なんで、最後の日にこれに気づくんだよ!!
あまりに、自分自身の腐った心や、発想に疲弊し
大事な大事な、一番大事なことを、見失っていた。
ショーの初日からずーっとですよ。
ちゃんと、大事なことからブレずにいれば
毎日、こんなキラキラした笑顔を沢山、見れていたのに。
何の為のショーなのか?
お客さんの為だったはずなのに
私は自分のことばかり考えていた・・。
かんけーねーんだわ。先輩のいびりとか。
先輩のせいじゃない。
私が、全くもってブレていただけだった。
★先輩の期待に応えるためでも
ディズニーの制作スタッフに気に入られるためでもない
ショーは、ただお客さんのためにある。
私がテーマパークダンサーを目指し、
オーディションを受けて始めたきっかけは、
自分がディズニーにはじめて行った日に
ディズニーのパフォーマーが
とっても私を楽しく幸せにしてくれたから。
「こんなお仕事があるんだ!!」
高校のときからダンス部だった私は、自ずとその道に入った。
ところが、人の初心などは
自我に崩壊されはじめます。
いざはじめるといつのまにやら
承認欲求や、自信のなさとか
いろんなものが、混じり出す。
これは、どの分野においても
全ての人が経験するジレンマだろうと思う。
そういった承認欲求などは
生まれてから幼少期に形成された固定観念からもやってくる。
それらは、大人になってからも
発想の元になっているので、なかなか自分でコントロールが難しいが
必ず、気づきと修正で
その誤認知は、
本当の自分という覚醒へと昇華することは出来る。
★あの時にみたお客さんの笑顔が教えてくれた。
私はこのことがけっかけとなり
「私は、自分にとって大事なことのために、自分を生かす」
と気づけたのでした。
今日紹介したゲシュタルトの祈りは
ゲシュタルト療法のワークでは、
実際に声に出して読んだりするもの。
自分自身を生きること。
自分にとって大事なことにフォーカスすることは
この世にギブすることを、自分自身が理解する生き方でもある。
つまりそれは、ダルマ・天命に繋がるのだ。
そうなったならば、決して自分は誰かと分断しているわけではなく
この地球全体の一ひとつとして、とっても大事な存在であることがわかるし
全ての存在がそうであるともわかる。
自分も相手も尊重する生き方。
自由自在な宇宙の中で、
全ては繋がり成り立つワンネスを
体現する生き方でもある。
今日は、全体で素晴らしい香りと波動を放っているお花とともに
ゲシュタルトの祈りを、ご紹介いたしました。
それでは、引き続き
TTTで
宜しくお願いいたします!(*‘∀‘)
あとこれ、おまけ
よく飛び込んでくる動画なのだが
毎回「ねー!それねー(*‘∀‘)」って思うのです。
コメント